I believe whatever doesn't kill you simply makes you…stranger.
(信念はあるさ…。生きて苦難を乗り越えれば人は…いかれちまう。)
私は銀行の番号札の受け渡し場所に並んでいた。
待っている間、なんの気もなく行内を見回してみると、少し遠くで、手続き書類を書いていた小綺麗で上品なご年配のご婦人が顔を上げ、私と目があった。なぜか私を睨むと、そのご婦人はツカツカと早歩きで来て、横入りしてきた。何かに怒っているようだった。
目の前で起こっていることに唖然とし、もしかしたら自分が何かマナー違反をしているのかも・・・と私が逡巡しているうちに、そのご婦人は何の躊躇いもなく番号札を受け取るべく一歩前に出る。銀行の係の人も「えっ・・」と戸惑いながらも、そのご婦人に番号札を渡していた。
そのご婦人は、自分の番号が呼ばれると、先ほどとは違う優雅な歩調で、窓口まで行き、受付の方に用件を伝えている。再び受付に呼ばれ、手続き完了の旨を聞かされたであろうご婦人は、受付の人に愛想良くお礼を伝え、颯爽と銀行を出て行った。
一連のご婦人の姿から、私は邪推する。
他者を押しのけることで自分の評判が下がることを最小限に抑えつつ、自分の利益を最大化する術をきっと彼女は熟知している。
彼女は、「自分が横入りした」などという意識もないだろう。むしろ、「自分が手続きに必要な書類を書き終えて、待つことなく番号札を受け取る:本来あるべき世界の姿」を破壊する人間が現れたが、そこに毅然と立ち向かい今回もまた勝利した。そんなふうに考えているのではないだろうか。
彼女は、おそらく世界に拒まれた経験がないのだろう。故に、彼女は自分を正義だと信じ、迷うことなく世界を(彼女にとっての)あるべき姿に正そうとする。
だったら、私が思い知らせてやる。彼女が正義ではないことを。彼女の正義がいかに主観的で、独善的で、他者を踏みつけにしてきたのかを。
私はルールを守った。ちゃんと順番を守ったんだ。それなのに彼女は、私を押しのけ先に手続きを済ませ、意気揚々と去っていった・・・。
そうか・・・そういうことか。
この世界はルールぬきで生きるのが賢い。
そうとも奴らは企んでる。
企む連中はこの世界をコントロールする気だ。
俺は企んだりしない。
俺は奴らに思い知らせてやりたいんだ。
この世界は…コントロールできやしないって。
・・・はい。大変失礼しました。
月一ファミリーキャンパー・教育マニアのmarcy-kです。
映画「ジョーカー」を観た影響で、冒頭が薄気味悪い感じになってしまいました。
ただ、この銀行での出来事事態はノンフィクションでございます。
そして、後半の太字の部分はダークナイトのジョーカーのセリフです。気づきました?
さてさて、なんだかんだここ一年で、これだけ映画を見ました。
search サーチ(PC画面の映像のみで構成されてる映画)
ボヘミアンラプソディ
ドラえもん 月面なんちゃら?
プリキュア
アベンジャーズ 最後のやつ
アンパンマン
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド
天気の子
記憶にございません
プリキュア
「話題になっている映画とりあえず観てきました!」という感じでお恥ずかしい限りですが、元々インドア派なので、映画大好きなんですよ。
この記事では、今話題の映画「ジョーカー」についてたっぷり語っていこうと思います。
なんと、この映画、興行収入がR指定映画で歴代一位になっているようで・・・
国内の興行収入だけで30億円を突破しており、このままのペースでいけば、50億円突破もありえるかもしれません。
ただ、ですね。この映画。話題だけで観に行ったら火傷しまっせ。
勧善懲悪の真逆。爽やかさ皆無。絶えずタバコのヤニと、薄暗い部屋と汚い裏路地と地下鉄。妄想と現実の目眩のするようなギャップ。胸糞悪い殺人シーン。
そんな画がつきまといます。驚きの展開の連続!っていう感じでもないですしね。
でもその分、心情描写が丁寧で、「この時、アーサー(主人公:後にジョーカーになる)は何を思っているのだろう」「いつ壊れて狂気に染まってしまうのだろう・・・」という炸裂寸前のダイナマイトを見るようなじわりじわりとしたハラハラ感をねっとりと楽しめる作品です。
万人受けするポップで目が離せない展開からのハッピーエンドの「君の名は。」とは、対極を行くような作品。
なぜこんなに人気なんでしょうか?
ちょこっと考察してみます。
※ジョーカー、ダークナイト、双方ともにネタバレ含まれています。ご注意を。
とりあえず、バッドマンとかジョーカーとかまっっっったく興味ねえ!!
という方にもこの記事読んでもらいたいので、まずは基本情報をざっくりどうぞ。
「ジョーカー」って誰やねん。
バッドマンの宿敵。
クリストファーノーランド監督によるバットマン三部作の二作目「ダークナイト」に登場。(ジャックニコルソンのバットマンも好きだけどね・・)
マッドピエロ。人を殺すことを屁とも思っていない。
倫理や道徳は糞食らえ。
損得や金で動かず、理屈は通じない。
人の悪意を引き出すのが得意。
みんなが観に行く理由
『ジョーカー』心優しき男がなぜ悪のカリスマへ変貌したのか!? 衝撃の予告編解禁
ま、ご覧の通り「衝撃作」っぽい雰囲気を醸し出すプロモーションがうまい、というのは大前提はあるにせよ、ですよ。大きく以下の2点があるのかな、と。
映画「ダークナイト」のジョーカーが愛されている
ダークナイトのジョーカーは映画ファンの中で以前から評判でした。
キャラクター設定、脚本家のセリフ選び、そして、ヒース・レジャーの演技によって血と肉を与えられ、ジョーカーは映画の中でその存在感を放ちます。
また、直後にジョーカーを演じたヒース・レジャーがなくなったことで、作中のジョーカーはある種の神聖さも獲得しました。
ジョーカーの映画を見に行く人の理由は、ほとんどこれに尽きると思ってたんですが、興行収入30億となると、一概にそうも言えないのかな、と。
やっぱり、次の理由が大きいのかな・・・。
ジョーカーのような異常犯罪者になる過程を観たい
アナキンスカイウォーカーの闇落ち過程三部作、スターウォーズ1・2・3も人気でしたからねえ。基本的に「人が闇に染まる過程を観たい」という欲求は誰にもあるのかもしれませんな。「人間理解の欲求」と言い換えてもいいかもしれません。
また、そうした人間理解の欲求は、昨今の「なんでそんなことすんの??」という凶悪犯罪に対する不安感から来ていたりして・・・。
「ジョーカー」はなぜ愛されるのか
暴力的なアナーキストは信者を得やすい
アナーキストの定義にもよりますが、ここでは「不公正で不必要なヒエラルキーと戦う」スタンスをとる人とします。ヒエラルキーの底辺にいる(と感じている)人たちは熱狂するでしょう。
その証拠に、あらゆる時代、あらゆる場所にテロリズムは存在し、残念ながら現在でもいまだにあり続けておりますね。
密かに抱える闇の欲求を満たしてくれる
「人を傷つけたいな 誰か傷つけたいな」
と、今から半世紀ほども前に井上陽水さんが歌っておりますが・・・。
我々の中に暴力的な欲求ってあるんじゃないかな、と。
シンプルに超金持ちのヒーローや上流階級層、あるいは荒稼ぎするマフィアたちでさえもたじろがせるジョーカーの姿というのは、恐ろしいし不愉快であると同時に・・・実は痛快に感じていたのではないでしょうか。
みんなの心の中に潜む、ありとあらゆる権力に対する反発と、そうした権力で予定調和になった社会を引っ掻き回す彼の姿は、我々の暗い欲求を体現し、カタルシスを与えてくれていたのかも。(認めたくないけど)
さて、前置きが長くなりました。
実際映画「ジョーカー」どうだった?
ジョーカー誕生の経緯に衝撃はない
先にざっくりとした感想を言ってしまうと・・・
そこまでパンチはなかったです。
・・・というと語弊がありますかね。実は、ダークナイトでの「ジョーカー」は、自分の過去(口元の傷)について語るんですよ。
ストーリー1
「俺の親父は・・・酒癖が・・悪くて・・残忍だった・・・。
ある晩、親父はいつも以上に荒れててねえ・・・。
お袋は身を守るため包丁を持ったが、それがまずかった。
そりゃあ・・もう・・・とっても。
それで・・俺の目の前で・・お袋を包丁で刺した。
楽しそうに笑いながら・・・そして俺を見て・・・こう言った
『そのしかめ面はなんだ』・・って。
それから俺のそばにきてまた・・
『そのしかめ面はなんだ』
で、俺の口に包丁を突っ込み
『さあ、笑顔にしてやろう』ってな」
ストーリー2
「俺にも女房がいた・・・ああ、綺麗だったよ。あんたみたいに。
その女房が、俺は心配性だって・・・『もっと笑わなきゃ』って言ってた。
ギャンブル好きの女で借金にはまり込んで、
やばいことに・・・おい。
ある日とうとう顔を切られた。
うちに手術する金なんかなく、女房は落ち込んだ。
俺はまたあいつの笑顔が見たかった。
『傷なんか気にしてない』って教えてあげたかった。
そこで・・・口に剃刀を突っ込むと・・切り裂いた。自分でな。
ところがだ・・・あいつは俺の顔に耐えかねて出てったよ。
けど皮肉なもんだよな・・・今じゃ・・いつも俺は笑ってる」
はい。なんかもう、どちらも一本の映画が作れそうなストーリー。ジョーカーの狂気の引き金を語っているように見えますが、どちらも出鱈目なのか、あるいはどちらかが本当なのか・・・いずれにせよ、作中でジョーカーの過去について明らかにされることはありません。(これが、今のジョーカーを生み出したのでは??)
まあ、とにかく今作の「ジョーカー」の方が、むしろ陳腐なストーリーに思えてしまうんですよね。
仕事がうまくいかず、介護している自分の母親としか、人間らしい関わりをしていない主人公のアーサー(ジョーカー)は、精神疾患をもち、多量の薬を処方されています。そんな中で、彼を追い込む様々な出来事に遭遇し、ある時一線を超えてしまう・・・そして、介護していた親から虐待されていた事実を知り、うちに秘めていた悪意と狂気が暴走していく・・・という感じ。
ダークナイトのジョーカーが語る「自分の過去」の方が凄みがありません?
あくまでフェアにジョーカー誕生を描く姿勢に好感
ただね。こんなふうにドライにあらすじを語れるのも、ジョーカーに同情的になりすぎない絶妙な描写をしているからだと思うんですよね。
最初に、アーサー(ジョーカー)が一線を越えるときって、一流企業に務める男3人が、酔っ払って地下鉄に乗ってきて、女の人に絡むんです。アーサーは発作のように笑い出してしまい、男どもに「気持ち悪いんだよ!」とボコボコに蹴られてしまいます。
そこで、彼は銃を撃ってしまうのです。
・・・と、ここまでいうと「正当防衛じゃん」と思える話なのですが、その後もアーサーは逃げるサラリーマンを追いかけて、執拗に銃を乱射します。
この辺りの描き方が、実にうまいなあ、と思っていて・・(お前誰やねん)
「ひどい!何も殺さなくても!」と声高に言えないけど、かと言って「やっぱこいつ異常だわ」と切り捨てるわけにもいかない、そんな絶妙なラインなんですよね。
主人公によりがちで、同情的な描き方ではなくて、聴衆と付かず離れず、いい距離感を保ったまま、映画はラストを迎えます。
見終わった後も、「いや、やっぱり自分は一線を超えないし、ジョーカーにはならないよね?ね?」と誰かに確認したくなります。
そんな余韻を残すほど、やはりパワーのある作品だと思いますね。(お前誰やねん)
印象的なシーン
初めて殺人を犯した後、洗面所を締め切り、踊ります。
??は??という感じでしょうか・・・。
クライムサスペンスだと、現実的に問題を対処しようと動きますよね。返り血を拭くのか、服を燃やすのか知りませんけど・・・そういう「犯罪を隠そうとあくせくする描写」は一切ないです。アーサーは踊りながら、「殺人によって獲得できた(と思い込んでいる)自由」の余韻に浸っているように思います。あるいは、自分が起こしてしまった恐ろしい出来事と向き合えず、 現実逃避しているようにも見えます。
最大の謎は彼の「笑い」
はい。ジョーカーの映画は、あえて曖昧に描かれているところがあって、モヤモヤ感が残る人もいるようです。いろいろと考察記事が上がっていますな。
私自身がもっとも疑問に感じたのは、彼の笑いの由来。
彼は、発作のように笑ってしまう。それは、彼が言うように、脳にダメージを受けた後遺症のせいなのでしょうか?
幼い時の彼が辛い現実から逃避するために笑っていたからなのか…彼の心が彼の身体にあのなんとも言えない、ヒステリックで、不安を煽る、泣き笑いのような笑いをもたらしているのでは・・・なんてね。
とにかく、彼はコミュニケーションで苦労していて、大人を笑わせることがなかなかできない。BARのようなところで、必死で周りの人が笑うタイミングに合わせて笑いつつ、コメディアンの笑いについてメモしている姿は、必死そのもの。それは、コメディアンが笑いの勉強をしているという描写ではなくて、世界に適合しようと必死になっているように見えて、彼の孤独を最も端的に描いているようで、切ない気持ちになりました。
「大人だって大事にされたい」という本音
「つらいのはうんざりだ」
「どうしてみんな僕を邪険にするんだ」
はい。「いい大人が何言ってんねん・・・」というようなセリフをアーサーは口にします。
おそらく、彼を見て苛立つ人も多いでしょう。
努力不足
他罰的な考え
環境依存
「それなのに、誰かを笑わしたい??一生無理だね!」そんなふうに思われる方もいることでしょう。
でもね。その苛立ちはどこから来るものでしょう?彼の心の叫びは我々の多くが抱えていて、共感できるもので、今はたまたま「大事にされている」状況にいると分かっているからこそ、不安を覚え、アーサーの弱さに苛立っているだけでは?あるいは、彼のように理解できない苦しみを抱えている人を遠ざけたいだけでは?
正直、社会は精神疾患の人を切り捨ててない?
はい。かなり生々しい、ショッキングな事実。昔は露骨に精神疾患の方を迫害してたんですよね。
翻って今の世界を見てみても、本当に社会で生きづらい人たちに「社会復帰」はあり得るのか?閉ざされたコロニーで生きるしかないのか?と考えさせられます。
アメリカ映画で見る「精神病棟」って、本当に救いようのない場所に描かれてますよね。半分刑務所みたいで、人々は拘束されて、意味不明な呻き声や叫び声を上げている・・半分お化け屋敷みたいな。
これって、大半の人の精神疾患者に対するイメージで、社会的な立ち位置そのものを表しているように思えます。
私の友人はもともと仕事熱心で、評価されていました。しかし、鬱になってから、世界は一変したと感じているようです。
「誰も彼もが『壊れ物』を扱うみたいに自分と関わる。それはただ親切なんじゃない。きっと距離をおきたいんだ。『あなたはそっちの人だったんですね』って」
実際、彼は以前のような仕事を任されず、閑職に。それは配慮とも言えるのですが、本人が希望していない以上、隔離に他ならないですよね。
正直、私も精神疾患の人に対して、そういう線引きをしていました。でも、豆腐メンタルの私も人ごとではありません。
精神疾患の方たちをどう支援するか?それは、身近な問題として、もっと考えていった方が、誰にとっても「ハッピー」なんじゃないでしょうか。働き方改革がうまくいかない以上、精神疾患になるリスク込みで、社会を再設計した方がよっぽど建設的かもしれません。
私たちにできることはなんなんでしょう。
とりあえず私は「うつ病から復職した人がいれば、今まで通り普通に接する」ことを心がけようかと思います。
人は、何かを拠り所にしないと正気を保って生きられない
そもそも誰かを笑顔にするって難しい。大人になればなるほど痛感しませんか?今やボランティアだって順番待ちですもん。
誰かの喜ぶことをして、価値を産み出すことで生かされる世の中では、みんなが誰かの役に立つべく、あの手この手で奮闘してます。テクノロジーが発展すればするほど、一人の人間が誰かの役に立つチャンスは減るわけですよね。買い物なら、アマゾンがあればいいし、何かを知りたい時は、グーグルに聞けばいい。
皮肉なことに、テクノロジーによって死の不安を遠ざけられた人々は、テクノロジーによって「お前なんか別にいなくてもいいんだよ?」という無言のプレッシャーにさらされ、途轍もない存在不安を抱えているわけですな。
NewsPicks界隈でAIに負けない人材とは??みたいな特集がよく組まれるのはそのためですよね。
今の時代、誰もが抱える「生きづらさ」がもたらすもの
現代は原始時代とは違った意味で他者依存的にならざるを得ないのかな、と。生物学的な死を乗り越えるために必要だった他者は、自分の存在意義を見出すために必要になってきているわけですな。それこそが、今の時代、誰もが抱える「生きづらさ」なのかな、と思います。こういう生きづらさは何もアーサーのように、悲惨な生育環境の人だけが感じるものではなく、むしろ暖かい家庭で、存在そのものを全肯定されてきた人ほど、社会に出てぽっきりと折れるのではないかと思うんですよね。「市場価値」とかいう言葉を平気で人に適用している市場に突然放り出された時、そのギャップはなかなか耐えがたいものかと思います。
作中で、アーサーは無職になるのですが、「仕事がない」という生きていく上で切実な問題よりも「誰にも必要とされてない感」「居場所のなさ」が彼を追い詰めていくように見えました。
薬に依存し、心の中ではエレベーターでちょっと話しかけられた女性に依存し
病気の母親を介護する自分に依存し・・・。
それを「心の弱い人」と片付けていいものなのでしょうか。本当はみんな、「生きづらさ」故に、何かに依存してませんかね。
そうしてやがて、善悪よりも、自分が何をすれば、他者は自分を大事にしてくれるかどうかで判断するようになっていくんですよね。「自分なら絶対買わないな」と、思う商品を売りつける営業マンも、「今の世の中こんな勉強しても意味あるのかね?」と疑問に思いながら、授業をする教師もまたしかり。
「今までは・・・存在していないも同じだった」
アーサーの場合、殺人を犯して初めて、世間が自分を大事にしてくれた、と感じたのでしょう。
誰がジョーカーを生んだのか?
ダークナイトでのジョーカーは
悪意や暴力、狂気を撒き散らす存在として、ゴッサムシティをひっかき回し、バットマンと対決します。
しかし、そんな彼も実際には社会が生み出したのだとすれば、誰が彼を生み出したのでしょう。
おそらくそれは、私たち一人一人。
大半の人は悪意を吐き出すことに無自覚だと思います。意図せずして悪意をばら撒いているからジョーカーよりもたちが悪い。
満員電車で、舌打ちするのも、歩きタバコも、静かなカフェでの下品な笑い声も、セクハラも、教育も・・・
そうそう。私が銀行で出会った、小綺麗で上品なご年配のご婦人なんかもそうです。彼女は、私の心の平穏を奪いましたが、そんなことに気づきもしていないし、関心もないでしょう。
他者に軽んじられ、その存在を否定され、あるいは無視された時、彼の存在を感じます。
俺は奴らに思い知らせてやりたいんだ。
この世界は…コントロールできやしないって。
確かにそんな気持ちになりました。
あなたは、過去何回ジョーカーになりましたか?
やばい。最後の最後まで、病んでる感じになっちゃった。ジョーカー。恐るべし。
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