NewsPicksで、ライフハッカーのこんな記事が取り上げられていました。
「幼い子どもを育てている親としては、どの子どもにも「自分は特別な存在なのだ」と感じて欲しいのですが、実際には、忙しくて子ども一人一人に毎日30分もかけられません。
どうしたら、あまり時間をかけなくても子どもにそういう気持ちになってもらえるでしょうか。
という読者の問いがあり、
「だったら、5分で子どもと心を通わせよう!その方法を紹介します!」
というのがこの記事の主旨。
そして、その具体的な方法というのが以下の7つ。
- 歯磨き中に子どもの好きな歌を歌う
- 家族会議を招集する
- 子どもの遊びに5分間だけ飛び入り参加する
- 特別感のある夕食を演出する
- 愛情あふれるメモを忍ばせる。
- タイマーをセットする(朝などの忙しい時間の中で時間をつくる)
- 「秘密の握手」を取り決める(秘密組織の合言葉的な雰囲気をだす)
そして、この記事に対するこちらのコメントに共感しました。
こういう方法論よりもむしろ子どもの満足度を測定する指標の方が欲しい。
結局「大人がやりたいだけじゃない?」って感じになる。
子どもが喜んでるのが好きなんじゃなくて「子どもを喜ばせようと頑張ってる俺ってばイクメン」なんて思いたいんじゃないかと。あるいは「子供に時間とってやれなくって公開だ」っていうのが嫌だからそうしているとか。
結局覚えてやしないかもしれないけど、自分が子どもの頃にされて嬉しかったことをしてあげるのが(時代の違いはあるかもしれないけど)ええんじゃないかなと。
もう、これ完全同意で。本当に問題なのは、こういう小手先の子どもへのパフォーマンスに頼らざるを得ない状況なのではないかと・・・。
そもそも、最初の問いを投げかけた人の問題意識って「1日に30分しか子どもと関われないこと」なんじゃないのかな?
それを5分で子どもに愛情を伝えよう!って・・・。なんか、色々ズレてる気が・・・。
愛情って、子どもに働きかけて伝えることも時には大事かもしれないけど、多分、忙しくて、子どもを疎ましく思っていれば、どんなに丁寧な言葉を使って子どもに接していたとしても、非言語コミュニケーションとしてガンガン「それ」が伝わっているだろうなあ、って思っていて。「ああ、自分は邪魔なんだ・・・」って子ども感じてると思う。
で、多分日々、無意識に子どもに向けている非言語コミュニケーションの方が子どもの「大切にされてる感」に影響を与えている気がします。
はい、ということで、私が思うのは、子どもに愛情を伝えるのは「方法」ではなくて、親の「あり方」じゃないの?ということ。
「子どもに愛情が伝わるようなあり方」を維持するためにも、親には時間的余裕、心の余裕が必須かなあ・・・
・・・ と、もっともらしく言いつつ、仕事の時間を極小化しようと企む私でした。