(pixaday100万点以上の高品質なフリー画像素材 - Pixabayより引用)
子育て奮闘中のみなさまこんばんわ。
子どもとの関わり方に日々迷っております。
ファミリーキャンパー・教育マニアのmarcy-kです。
「子どもには、なんでもトライしてみてほしいけど、危なっかしくて、ついつい口出ししてしまう」
「親の過干渉は子どもに良くないって聞いてことあるけど、だって心配だし・・・。」
「そもそも、子どもにアドバイスすること自体は悪くないよね??」
などと葛藤したり・・・。
本記事では、本日ズーラシアに行って、そしていろんな書籍をもとに
「親はどこまで子どもに委ねて、見守って、どのタイミングで関わっていけばいいの?」
という問いに対して考えてみたことをまとめてみました。
なんか、最近子どもに怒ってばかりだなあ。関わりがしんどいなあ・・・。
そんな方が少しでも楽になれば幸いです。
子どもとの関わりがしんどい時は・・・
解決策:横浜ズーラシア動物園に行こう!
国内では珍しい、オカピがいます!
園内は、なかなか雰囲気作りされていて、ディズニーシーとかランドみたい。
バリ島っぽいところもあります。
「動物はそこまで・・・」という方も散歩してるだけで、なんか楽しいはず。
オススメする理由
- 親が手出しできない状況に放り込まれる
- やりきった時の子どもの笑顔が見られる(かも)
- どれだけ子どもを見張っていてもリスクは0にできないことを知る
親が手出しできない状況に放り込まれる
ここ、親御さんやら、子どもがめちゃくちゃ群がる遊具でございます。
ご覧の通り、子どもがこの小さい穴に入られると、外から様子を確認するのが難しいです。
心配に思って、中に入ってみると、子どもたちが格子状のロープをよじ登り、頂上を目指しており、保護者同伴で入るのは難しいです。
大抵の親御さんはここで
「お父さん、この中入れないから、何か困ったことあったら言ってね」
と言い残し、外側で見守るしかないんですね。信じて、上の滑り台から出てくるのを待つしかないのです。
やりきった時の子どもの笑顔が見られる(かも)
滑り台から降りてきた子どもが、「やったー一人でできた!!」と喜んでいる姿を見てしまうと、「ああ、手出ししなくてよかった・・・」と思ってしまいます。
まあ、結果論なんですけどね。子どもが怪我したり、他の子を怪我させてしまったら、「ああ、やっぱり自分がつきっきりで見ていれば、こんなことには・・・」と思うことでしょう。
熱中する子どもを見張っていてもリスクは0にできないことを知る
外で、やきもき子どもの無事を祈っている間、「下から見ていた方がいいのかな?」
などと考えたりもするのですが、「結局、どれだけ見ていても子どものリスクは0にならないよな」ということに気づきます。
子どもはそもそもロープ登りに熱中しているので、親の声は届きません。下で見張っていても落下した子どもを受け止められるとも限りません。リスクを0にするには、はじめから、何もやらせないようにするしかないんですよね。
親にできること
「じゃあ、親にできることってなんなのよ?」という話ですよね。最初の問いに対して、答えになっているかわかりませんが・・・
今日の一件と、今までインプットしてきたことから、結局次の3つくらいなのかなあ、と思いました。
- なるべく安全に失敗できるようにする
- 「困ったことがあったらできる範囲で応援するよ」と伝える
- 自分の働きかけがその子にふさわしいか振り返る
なるべく安全に失敗できるようにする
Hope invites | Tsutomu Uematsu | TEDxSapporo
「下町ロケット」のモデルになった植松努さんの超絶有名な神TEDスピーチ。
学校教育のみならず、親に対しても響くメッセージが散りばめられております。
うう・・・胸が痛い・・・。
「困ったことがあったら、できる範囲で応援するよ」と伝える
「まあ、子どもの人生は子どものもんだよね」
という、親からしてみれば、身も蓋もないメッセージ満載のこちら。
親とこの関わりの視点に「課題の分離」が入るとかなり楽かもです。
「子どもが選択した行動の結果を引き受けるのは子ども自身」という当たり前の事実。
「私は子どもに選択と決断を委ねている!!」と豪語する親御さんも、一度考えましょう。選択と決断は誘導可能です。親にとって好ましくない選択に伴うリスクを過大に伝えたり、親にとって好ましい選択の未来について、ことさら薔薇色に語ったりしがち。
「お前は預言者か」という自分ツッコミは常備しておくが吉。
自分の働きかけがその子にふさわしいか振り返る
20世紀アメリカの哲学者デューイさんといえばプラグマティズム!でも、実はゴリゴリの教育者なのですよね。(まあ、哲学と教育は切っても切れない深い部分で繋がっておりまして・・・その繋がりは、古代ギリシャのソクラテスとかプラトンまで遡っちゃいます。)
さて、デューイさんにとって、ざっくり言うと教師の役割は2つあり
- 各自に最も適切な学びの環境を整える。
- 教師自身が、子どもたちの学びの環境、自分の働きかけが個々の子どもたちにふさわしいかどうか、絶えず自己反省することである。
とのこと。これ、シンプルですがかなりストイックで、マッチョな考え方ですよね。超ハードル高い。
デューイさんの、片鱗をさらっとここで出すのもちょっと反則的な気がするので、気になる方は、がっつりこの辺をお読みいただいた方がフェアですね。
で、実は今回のような悶々とした親が抱えがちな問いに関しても、実はかなり昔からとっくに論じられていたらしく・・・
ご興味ある方は、ちと古いですが、この辺の本も面白いかも。
ヘーゲルもマルクスもニーチェも出てくるよ!!(哲学マニアの方には薄味です。もしかしたら、教育思想の系譜の中で出てくる哲学者たちについての概要をみると、なぬ?この人の言いたかったこと、そういうことだったの?と違和感感じるかも)
まとめ
リスクを取れ!!みたいな自己啓発書ってよくありますよね。
特に今の時代は、「変化が目まぐるしく未来予測が難しい・・」という文脈で、リスクをとってチャレンジしないリスクが指摘されまくっているわけですけど。
子どもにリスクを取らせるのって自分がリスクを取るよりも、すごくハラハラするし、もどかしい。相当ハードル高いですな。
でもまあ、ズーラシアの遊具で遊ばせると、子どもを信じてトライさせる練習にはなるかもしれません。子離れの練習スポットですな。
いろいろ固い話をしましたが、ズーラシア楽しいですよ!レッサーパンダ可愛かったです。(小並感)
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